建物の歴史
文京区の音羽の丘に鳩山家の美しい洋館が姿を現したのは、関東大震災の翌年大正13年である。
鳩山家は、衆議院議員の和夫(1856~1911)、総理大臣となった一郎(1883~1959)、外務大臣をつとめた威一郎(1918~1993)、さらに衆議院議員の由紀夫(1947生れ)、邦夫(1948生れ)、と四代にわたり指導的な政治家を生み育てた。
この洋館を建てたのは一郎で、ここを舞台に、戦後政治の画期となった自由党(現在の自由民主党)の創設が計られ、また首相として決断した日ソ国交回復の下準備も行なわている。
設計を手掛けたのは一郎の友人の岡田信一郎(1883~1932)で、大正・昭和初期を代表する建築家として知られる。
一郎の没後、傷みがひどくなったけれど、1995年に大修復を加え、往年の輝きを回復した。修復に当たり、一郎、その夫人で教育者の薫、威一郎を記念する部屋を設け、公開されることになった。薔薇の庭を前に建つイギリス風の外観、ハトをモチーフとするステンドグラス、アダムスタイルの応接室、朝倉文夫作の和夫、春子夫妻像、などなど見るべきものは多い。
文/東京大学教授(近代建築史)
藤森照信
離れ
普段は一般公開はされていない「離れ」があります。
よく手入れされた庭には薔薇をはじめ貴重な「白藤」の棚があり、薔薇が咲く頃にはこの庭先のみ、一般公開されます。