family鳩山家の人々

鳩山和夫

安政3年(1856)~明治44年(1911)。米国留学し、エール大学法学博士。外務次官。衆議院議長。東京大学教授。早稲田大学総長を歴任した。

鳩山和夫
安政3年(1856年)/4月3日
武蔵国江戸虎門(現在の東京都港区虎ノ門)に勝山藩鳩山重右衛門博房の四男として生まれる
明治3年(1870年)/10月/14歳
大学南校(現在の東京大学の前身)に入学
明治8年(1875年)/7月10日/19歳
法学修行のため5年間のアメリカ留学を拝命
明治10年(1877年)/4月16日/21歳
父 博房が急死
明治10年(1877年)/5月16日/21歳
コロンビア大学でB.L(ベチエラー)の学位を受ける
明治11年(1878年)/6月26日/22歳
エール大学でM.L(マスター・オブ・ロー)の学位を受ける
明治13年(1880年)/7月1日/24歳
エール大学でD.C.L(法学博士)の学位を受ける
明治13年(1880年)/8月30日/24歳
東京帝国大学法学部講師を嘱任される
明治14年(1881年)/11月4日/25歳
多賀春子と結婚する
明治14年(1881年)/12月/25歳
代言人(現在の弁護士)試験に合格する
明治15年(1882年))/1月4日/25歳
代言人事務を開業する
明治15年(1882年))/1月11日/25歳
依願東京帝国大学法学部講師解任
明治15年(1882年))/2月/25歳
東京府会議員に1572票の最高点で当選する
明治15年(1882年))/3月30日/25歳
東京代言人組合長に選挙される
明治15年(1882年))/7月26日/26歳
東京府会郡部会議長となる
明治16年(1883年))/1月1日/26歳
長子 一郎生れる
明治16年(1883年)/4月11日/27歳
東京代言人組合長に再選される
明治17年(1884年)/1月19日/27歳
再び東京帝国大学法学部講師となる
明治17年(1884年)/2月7日/27歳
次子 秀夫生まれる
明治17年(1884年)/4月15日/28歳
東京代言人組合長に三度重任する
明治17年(1884年)/4月19日/28歳
東京府会議員に再選
明治17年(1884年)/5月13日/28歳
同会郡部会議長となる
明治18年(1885年)/4月23日/29歳
外務省權大書紀官に任ぜられ、東京府会議員及び東京代言人組合長等の公職を辞する
明治18年(1885年)/5月1日/29歳
取調局長被仰付
明治18年(1885年 6月5日 29歳
叙正六位
明治18年(1885年)/11月21日/29歳
兼任参事院外議官補
明治18年(1885年)/12月26日/29歳
兼翻訳局長心得被仰付
明治19年(1886年)/3月3日/29歳
任外務省取調局長兼翻訳局長
明治19年(1886年)/4月10日/30歳
叙奏任官一等
明治19年(1886年)/4月19日/30歳
兼任法科大学教授叙奏任官ニ等
明治19年(1886年)/7月8日/30歳
叙従五位
明治20年(1887年)/3月28日/30歳
依願免兼法科大学教授
明治20年 1887年)/9月17日/31歳
葡国(ポルトガル)皇帝より「コマンドル・ド・ロルドル・ロアヤル、ミリテール・ボルチエゲー・ド・セニユール・ゼ・ジエキリスト」の勲章を贈られる
明治20年 1887年)/10月4日/31歳
文官試験委員被仰付
明治20年 1887年)/12月28日/31歳
兼任法科大学教授、法科大学教頭。叙奏任官一等帝国大学評議官を命じられる
明治21年 1888年)/5月7日/32歳
法学博士の学位を受ける(日本最初の博士号)
明治21年 1888年)/9月28日/32歳
免兼翻訳局長
明治21年 1888年)/12月27日/32歳
布哇国(ハワイ)より贈られた王冠勲章の佩用を允許される
明治22年 1889年)/8月17日/33歳
現行法律規則調査委員を被命
明治23年 1890年)/1月21日/33歳
再び代言人となる
明治23年 1890年)/4月15日/34歳
東京代言人組合長に選挙さる
明治23年 1890年)/7月/34歳
東京専門学校長(現在の早稲田大学)に就任する
明治23年 1890年)/秋/34歳
小石川区音羽町7丁目に居を移す
明治25年 1892年)/2月23日/35歳
東京府第9区(小石川、牛込、四谷)選出衆議院議員となる
明治26年(1893年)/4月13日/37歳
法典調査会委員被仰付
明治27年(1894年)/3月1日/37歳
第2回衆議院議員選挙で初当選
以後、明治41年(1908年)の第9回衆議院議員選挙まで8期連続当選
明治28年(1895年)/3月16日/38歳
鉄道会議員被仰付
明治29年(1896年)/3月1日/39歳
進歩党員となる
明治29年(1896年)/12月22日/40歳
衆議院議長に任ぜられる
明治31年(1898年)/6月21日/42歳
憲政党員となる
明治31年(1898年)/9月13日/42歳
任外務次官叙高等官一等
明治31年(1898年)/10月31日/42歳
叙従四位
明治31年(1898年)/10月/42歳
依願免外務次官
明治32年(1899年)/9月29日/43歳
清国(中国)より贈られたる第二等第一雙龍寳章を允許さる
明治34年(1901年)/10月23日/45歳
エール大学200年祭に招待せられ、同大学より名誉大博士の学位を受ける
明治40年(1907年)/4月1日/50歳
早稲田大学校長の職を退く
明治40年(1907年)/5月20日/51歳
商法改正主査委員被仰付
明治41年(1908年)/1月18日/51歳
憲政本党を脱す
明治41年(1908年)/1月19日/51歳
政友会に入会する
明治41年(1908年)/6月26日/52歳
母 喜久子歿す
明治41年(1908年)/52歳
第25議会において政務調査会第一文科長となる
明治41年(1908年)/11月15日/52歳
東京市会議員に当選 ※当時は議員の兼職が可能
明治42年(1909年)/12月24日/53歳
第26議会において予算委員長に当選する
明治43年(1910年)/5月30日/54歳
東京弁護士会長に当選する
明治44年(1911年)/10月2日/55歳
叙正四位(特旨を以って位一級を進めらる)叙勳三等綬瑞宝章受章
明治44年(1911年)/10月3日/55歳
午前7時半永眠する