family鳩山家の人々

鳩山薫

明治21年(1888)~昭和57年(1982)。共立女子学園長を永年勤めた教育者。夫・一郎を支えた賢夫人としても名高い。勲一等瑞宝章を受章した。

鳩山薫
明治21年(1888年)/11月21日
寺田 薫誕生。父 寺田 栄(横浜地方裁判所判事)、母 寺田いくの長女として横浜の戸部で生まれる。
薫の祖母 多賀すま(多賀 努の長女)は鳩山春子(多賀 努の五女)の姉
明治26年(1893年)
礫川(こいしがわ)幼稚園
明治28年(1895年)/4月
礫川小学校に入学
明治32年(1899年)
泰明小学校(京橋)に転校
明治32年(1899年)/3月
富士見小学校(九段下)に転校
明治32年(1899年)/4月
高等小学校に入学
明治35年(1902年)
実母 寺田いく死去(35歳)
明治36年(1903年)/4月
女子学院英語科(麹町)に入学
明治38年(1905年)
寺田 薫、鳩山家に養女として入籍。薫子と改名(戸籍上は「薫」)
明治40年(1907年)
女子学院卒業
明治40年(1907年)
ブラクマ・ホーム(小石川高田)に入塾、英語・音楽・料理法研究
明治41年(1908年)/9月18日
鳩山一郎と結婚
明治42年(1909年)/11月20日
長女 百合子誕生
明治44年(1911年)/10月3日
父 和夫死去(56歳)
大正元年(1912年)/8月24日
次女 玲子誕生
大正5年(1916年)/1月28日
三女 節子誕生
大正7年(1918年)/11月11日
長男 威一郎誕生
大正10年(1921年)/12月4日
四女 恵子誕生
大正13年(1924年)/11月19日
五女 信子誕生
昭和7年(1932年)
清和婦人会会長に就任
昭和13年(1938年)/4月
母 春子、共立で執務中に倒れる
昭和13年(1938年)/7月12日
鳩山春子死去(78歳)
昭和13年(1938年)/7月27日
財団法人共立女子学園臨時商議会で補欠選挙が行われ、商議員に選ばれ、議員の中から選出され理事に就任
昭和13年(1938年)
財団法人共立女子学園理事長に就任
昭和13年(1938年)/8月5日
共立女子専門学校長、共立高等女学校長、共立女子職業学校長に就任
昭和22年(1947年)/3月
学制改革により共立女子職業学校を廃し、大学の「共立女子大学」として再スタートする。
昭和22年(1947年)/4月18日
共立女子中学校開校、校長に就任
昭和23年(1948年)/4月1日
学制改革により共立女子高等女学校を廃し、共立女子高等学校開校、校長に就任
昭和23年(1948年)
財団法人大日本女子社会教育会理事
昭和24年(1949年)/4月1日
共立女子大学発足
昭和25年(1950年)/4月1日
共立女子短期大学部発足
昭和26年(1951年)/3月8日
学校法人 共立女子学園と改称 学園長、理事長に就任
昭和26年(1951年)/4月1日
共立女子大学長、共立女子短期大学長に就任
昭和29年(1954年)/10月11日
大日坂幼稚園長に就任
昭和31年(1956年)/10月
日ソ国交回復交渉全権随員として渡ソ
昭和31年(1956年)/10月7日
コロンビア大学附属バーナード・カレッジから功労賞を受賞
昭和32年(1957年)
日ソ婦人懇話会会長
昭和33年(1958年)/11月27日
帝国ホテルで金婚祝賀会を行う
昭和34年(1959年)/3月7日
夫 一郎死去(76歳)
昭和34年(1959年)
東京放送番組審議会委員就任 ラジオ関東放送番組審議会委員
昭和34年(1959年)/5月
友愛青年同志会会長に就任
昭和34年(1959年)/6月1日
財団法人日本友愛青年協会設立、理事長に就任
東京都文京区結婚相談員就任
昭和35年(1960年)
財団法人日本花いっぱい協会会長
昭和38年(1963年)/11月1日
藍綬褒章受章
昭和39年(1964年)
財団法人東京善意協会理事
昭和41年(1966年)/4月29日
勲一等瑞宝章受章
昭和43年(1968年)/11月21日
鹿島平和賞受賞
昭和45年(1970年)/4月11日
共立女子第二高等学校開校。校長に就任
昭和54年(1979年)
第一回「大学振興功労大賞」<特別賞>受賞
昭和57年(1982年)/8月15日
逝去(93歳)
昭和57年(1982年)/8月15日
正四位に叙せられる