family鳩山家の人々

鳩山一郎

明治16年(1883)~昭和34年(1959)。内閣書記官長、文部大臣を歴任し、昭和29年~31年・内閣総理大臣。勲一等旭日大綬章を受章と大勲位菊花大綬章を受章。

鳩山一郎
明治16年(1883年)/1月1日
誕生。父・鳩山和夫、母・春子の長男として牛込区東五軒町にて
明治20年(1887年)/4月/4歳
女子高等師範学校附属幼稚園に入園
明治22年(1889年)/4月/6歳
東京高等師範学校附属小学校に入学
明治24年(1891年)/8歳
音羽に転居
明治28年(1895年)/4月/12歳
東京高等師範学校附属中学校に入学
明治33年(1900年)/3月/17歳
東京高等師範学校附属中学校卒業
明治33年(1900年)/9月/17歳
第一高等学校第一部に入学
明治36年(1903年)/9月/20歳
東京帝国大学英法科に入学
明治40年(1907年)/7月/24歳
東京帝国大学英法科卒業、京橋山城町の父の事務所で見習い弁護士になる
明治41年(1908年)/4月/25歳
早稲田大学の講師に就く
明治41年(1908年)/9月18日/25歳
寺田 薫(寺田 栄の長女)と結婚(寺田 栄氏は当時衆議院議員秘書課長、後貴族院議員に勅選)
明治44年(1911年)/10月3日/28歳
父・鳩山和夫が死去
明治45年(1912年)/2月/29歳
父の死に伴う東京市議会議員補欠選挙に立候補し、当選
大正4年(1915年)/3月25日/32歳
衆議院第12回総選挙で初当選、立憲政友会に所属
大正4年(1915年)/11月7日/32歳
勲四等瑞宝章を受章
大正6年(1917年)/4月20日/34歳
衆議院第13回総選挙で当選(2回目)
大正7年(1918年)/12月/35歳
東京市議会副議長に就任
大正9年(1920年)/5月10日/37歳
衆議院第14回総選挙で当選(3回目)
大正13年(1924年)/1月18日/41歳
政友会を脱退し「政党本党」の結党に参加
大正13年(1924年)/5月10日/41歳
衆議院第15回総選挙で当選(4回目)
大正13年(1924年)/5月/41歳
院内総務に就く
大正13年(1924年)/12月/41歳
東京市議会議長に選任
大正13年(1924年)/41歳
自宅を岡田信一郎氏の設計により建築
大正14年(1925年)/4月1日/42歳
政友本党総務となる
大正15年(1926年)/1月15日/43歳
政友本党を脱党し、同交会を組織
大正15年(1926年)/2月12日/43歳
同交会、立憲政友会と合同
大正15年(1926年)/3月27日/43歳
立憲政友会幹事長に就任
昭和2年(1927年)/4月20日/44歳
田中義一内閣の書記官長に就任(~昭和4年7月)
昭和3年(1928年)/2月20日/45歳
衆議院第16回総選挙(第一回普通総選挙)で当選(5回目)
昭和3年(1928年)/12月28日/45歳
勲二等旭日大綬章を受章
昭和5年(1930年)/2月20日/47歳
衆議院第17回総選挙で当選(6回目)
昭和5年(1930年)/5月/47歳
政友会の総務に就任
昭和6年(1931年)/12月13日/48歳
犬養 毅内閣の文部大臣で初入閣
昭和7年(1932年)/2月20日/49歳
衆議院第18回総選挙で当選(7回目)
昭和7年(1932年)/5月26日/49歳
齋藤 実内閣で文部大臣に留任(~昭和9年3月)
昭和9年(1934年)/4月5日/51歳
勲一等瑞宝章を受章
昭和9年(1934年)/4月29日/51歳
勲一等旭日大綬章を受章
昭和11年(1936年)/1月/53歳
政友会の総裁代行に就任
昭和11年(1936年)/2月20日/53歳
衆議院第19回総選挙で当選(8回目)
昭和12年(1937年)/7月/54歳
衆議院第20回総選挙で当選(9回目)
昭和12年(1937年)/7月/54歳
第33回列国議会議員同盟会議出席のためパリへ、翌年2月帰国
昭和14年(1939年)/5月20日/56歳
政友会分裂、久原派を結党
昭和15年(1940年)/7月/57歳
政友会久原派解党
昭和15年(1940年)/12月20日/57歳
全政党解党、衆議院議員倶楽部に所属
昭和16年(1941年)/2月27日/58歳
衆議院から在職26年の功労賞を受賞
昭和16年(1941年)/9月2日/58歳
衆議院倶楽部解散
昭和16年(1941年)/11月10日/58歳
同交会を組織、加入
昭和16年(1941年)/12月8日/58歳
開戦(第二次世界大戦)
昭和17年(1942年)/4月30日/59歳
衆議院第21回総選挙(翼賛選挙)に非推薦で当選(10回目)
昭和17年(1942年)/5月14日/59歳
同交会解散する
昭和17年(1942年)/5月22日/59歳
翼賛政治会結成、参加
昭和18年(1943年)/6月22日/60歳
翼賛政治会を脱し、無所属となる
昭和20年(1945年)/8月15日/62歳
終戦(第二次世界大戦)
昭和20年(1945年)/8月22日/62歳
軽井沢より上京(安藤、芦田氏等の要請を受け)
昭和20年(1945年)/11月9日/62歳
日本自由党を結党、総裁に就任
昭和21年(1946年)/4月10日/63歳
衆議院第22回総選挙で当選(11回目)日本自由党が第1党となり、次期首相候補に挙げられる
昭和21年(1946年)/5月4日/63歳
GHQにより公職追放の指令を受ける
昭和26年(1951年)/2月6日/68歳
米国トルーマン大統領特使ダレス氏と会う(ニューズウィーク誌の東京支局長・パケナム氏の紹介で)
昭和26年(1951年)/6月11日/68歳
脳溢血で倒れる
昭和26年(1951年)/8月6日/68歳
第2次追放解除により公職に復帰
昭和27年(1952年)/9月2日/69歳
吉田首相と会う(箱根ホテルに吉田首相が訪ねてくる)
昭和27年(1952年)/10月1日/69歳
衆議院第25回総選挙において全国最高点で当選(12回目)、自由党に所属
昭和28年(1953年)/3月18日/70歳
自由党分党派結成、総裁に就任
昭和28年(1953年)/4月21日/70歳
衆議院第26回総選挙において全国最高点で当選(13回目)
昭和28年(1953年)/4月29日/70歳
友愛青年同志会を組織
昭和28年(1953年)/11月17日/70歳
吉田首相、音羽の私邸を訪問、復帰を求めた
昭和28年(1953年)/11月29日/70歳
自由党分党派を解党し、自由党へ復党
昭和29年(1954年)/11月24日/71歳
日本民主党を結党、総裁に就任
昭和29年(1954年)/12月9日/71歳
内閣総理大臣に指名される
昭和29年(1954年)/12月10日/71歳
第1次鳩山内閣を組閣成立
昭和30年(1955年)/1月7日/72歳
ソ連駐日代表部主席代理ドムニッキー氏が音羽の私邸を訪問
昭和30年(1955年)/1月25日/72歳
ソ連駐日代表部主席代理ドムニッキー氏が音羽の私邸を訪問
昭和30年(1955年)/2月27日/72歳
衆議院第27回総選挙において全国最高得票数を得て当選(14回目)
鳩山ブームで日本民主党第1党になる
昭和30年(1955年)/3月19日/72歳
第2次鳩山内閣を組閣成立
昭和30年(1955年)/6月4日/72歳
鳩山、緒方会談(保守合同で一致)
昭和30年(1955年)/11月15日/72歳
自由党と日本民主党が合同、自由民主党を結党(保守合同:55年体制の確立)総裁代行委員に選出される
昭和30年(1955年)/11月16日/72歳
イタリアより共和国メリット勲章を受章
昭和30年(1955年)/11月22日/72歳
第3次鳩山内閣を組閣成立
昭和30年(1955年)/12月7日/72歳
カンボジアよりサハメトレ王室勲章大綬章を受章
昭和31年(1956年)/4月5日/73歳
自由民主党の臨時大会で初代総裁に就任
昭和31年(1956年)/10月7日/73歳
日ソ交渉全権団長としてモスクワへ出発
昭和31年(1956年)/10月13日/73歳
ブルガーニン、ソ連首相・フルシチョフ氏と会談
昭和31年(1956年)/10月15日/73歳
ブルガーニン、ソ連首相・フルシチョフ氏と会談
昭和31年(1956年)/10月19日/73歳
交渉妥結、日ソ国交回復に関する共同宣言調印
昭和31年(1956年)/11月1日/73歳
日ソ交渉全権団、帰国
昭和31年(1956年)/11月2日/73歳
総理引退を表明
昭和31年(1956年)/11月12日/73歳
日ソ共同宣言批准書を交換、発行する
昭和31年(1956年)/12月18日/73歳
国際連合は日本を第80番目の加盟国として承認
昭和31年(1956年)/12月20日/73歳
内閣総辞職
昭和33年(1958年)/5月22日/75歳
衆議院第28回総選挙で当選(15回目)
昭和34年(1959年)/3月7日/76歳
逝去、衆議院議員在職 35年9ヶ月
昭和34年(1959年)/3月7日/76歳
大勲位菊花大綬章を受章、正二位に叙せられる