鳩山春子
文久元年(1861)~昭和13年(1938)。女子師範学校で教鞭をとった後、明治19年に共立女子職業学校(現・共立女子学園)を創立。女子教育に貢献した。
- 文久元年(1861年)/3月23日
- 渡辺春子誕生。父 渡辺努(信州松本藩の藩士)、母 賢子の五女として長野県松本市に生まれる
- 明治に渡辺から多賀と改姓する
- 明治7年(1874年)/4月/13歳
- 竹橋女学校に入学
- 明治10年(1877年)/3月/16歳
- 竹橋女学校廃止につき、新設のお茶の水東京女子師範学校別科英学科に入学
- 明治11年(1878年)/7月/17歳
- お茶の水東京女子師範学校別科英学科を卒業
- 明治11年(1878年)/9月/17歳
- お茶の水東京女子師範学校師範科本科に入学
- 明治12年(1879年)/5月13日/18歳
- 米国フィラデルフィア府女子師範学校入学の許可がおりる
- 明治12年(1879年)/8月/18歳
- 政府の都合により留学が中止
- 明治12年(1879年)/9月/18歳
- 文部省の依頼によりお茶の水東京女子師範学校師範科に復学し、一級昇進する
- 明治14年(1881年)/7月30日/20歳
- お茶の水東京女子師範学校卒業
- 明治14年(1881年)/8月9日/20歳
- お茶の水東京女子師範学校に就職
- 明治14年(1881年)/11月/20歳
- 鳩山家に婚嫁のため辞職
- 明治14年(1881年)/11月16日/20歳
- 鳩山和夫と結婚
- 明治16年(1883年)/1月1日/21歳
- 長男 一郎を出産
- 明治17年(1884年)/2月4日/22歳
- 次男 秀夫を出産
- 明治17年(1884年)/6月2日/23歳
- 東京女子師範学校御用掛拝命
- 明治19年(1886年)/2月20日/25歳
- 新設の文部省直轄東京高等女学校より御用掛拝命
- 明治19年(1886年)/3月/25歳
- 宮川保全氏と共に共立女子職業学校(現在の学校法人共立女子学園)を創立。本務の傍ら、教授職も務める
- 明治28年(1895年)/11月/34歳
- 高等女学校の設備がない地方に通信教授を行う。その後高等女学校が普及するまで十数年継続する。
- 明治32年(1899年)/1月/38歳
- 共立女子職業学校の財団法人化にともない、商議員となる。
- 明治45年(1912年)/4月/52歳
- 共立女子職業学校に家庭科を新設する
- 大正2年(1913年)/53歳
- 東京女子高等師範学校講師となり、職員を兼任する
- 大正3年(1914年)/53歳
- 共立女子職業学校の理事となる
- 大正5年(1916年)/3月31日/55歳
- 共立女子職業学校の副校長となる
- 大正11年(1922年)/10月30日/62歳
- 学制頒布50年記念式で東京市教育会長から表彰を受ける
- 大正11年(1922年)/12月8日/62歳
- 共立女子職業学校第6代校長となる
- 大正12年(1923年)/9月1日/63歳
- 共立女子職業学校の校舎・寄宿舎が関東大震災により焼失。復興に全力を尽くす。
- 大正13年(1924年)/2月11日/64歳
- 叙勲六等授瑞宝章受章
- 大正14年(1925年)/4月/65歳
- 共立女子職業学校に専門学校を併置、初代校長となる
- 昭和2年(1927年)/4月/67歳
- 共立女子職業学校にて「女子技芸講習録」を編輯し、1年間の通信教育を始める
- 昭和2年(1927年)/5月27日/67歳
- ローマ法王より1925年聖年祭記念布教博覧会功労賞を受賞
- 昭和2年(1927年)/12月/67歳
- 日本婦人海外協会顧問を嘱託
- 昭和3年(1928年)/2月1日/67歳
- 大礼記念国産振興東京博覧会評議委員を嘱託
- 昭和3年(1928年)/5月/68歳
- 東京府下中学校博物教育会の賛助員として推挙される
- 昭和3年(1928年)/6月1日/68歳
- 御慶記念婦人子供博覧会顧問を嘱託
- 昭和3年(1928年)/6月16日/68歳
- 帝都教育会長から表彰状と功牌を受ける
- 昭和3年(1928年)/10月1日/68歳
- 共立女子職業学校長に続いて共立女子専門学校長を兼任する
- 昭和3年(1928年)/11月10日/68歳
- 叙勲五等授瑞宝章受章
- 昭和13年(1938年)/7月12日/78歳
- 逝去
- 昭和13年(1938年)/7月12日/78歳
- 叙勲四等授瑞宝章受章